2011年の長野県議選に初当選して、初めての県議会一般質問の当日、地元松本市で震度5強の長野県中部地震が発生。いくつもの家屋から瓦屋根が落ちている光景を目の当たりにしました。議員として初めての災害に対応する中、当時は有効な支援策がなく、じくじたる思いをしました。
以後、長野県内では御嶽山噴火(14年)や東日本台風(19年)などが発生。現地に急行し被災者からじっくりお話を伺い、必要な支援を呼び掛けてきました。
24年1月の能登半島地震の前年、23年5月に最大震度6強の奥能登地震が発生。衆院議員となった私が被災地で目にしたのは、14年前の県議時代、地元松本市で見た瓦屋根が落ちている、あの光景でした。
「災害時は平時とは違う。支援策がなければ作るんだ」。ある先輩議員から、こう教わりました。国に支援策の改善を働き掛けた結果、23年6月、屋根にブルーシートを張る業者への費用を国が支援する仕組みができたのです。
「災害は忘れる前にやってくる」と言われるほど、国内では災害が激甚化・頻発化しています。国民の命を守るため、災害時などに地域の防災拠点となる「防災道の駅」の拡充や、広域での災害対応拠点のさらなる整備に挑んでいきます。
