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能登地震1年被災者の心温める“灯台”

石川県輪島市の福祉・交流施設「輪島カブーレ」

2025/01/05 公明新聞1面

 かけがえのない日常を住民から奪った能登半島地震から1年。今なお多くの人が生活再建の険しい道を歩む中で、「つかの間でも“いつも通り”に戻って」と被災者を温かく迎えている場所があります。壊滅的な被害を受けた石川県輪島市の中心部にある、福祉・交流施設「輪島カブーレ」です。=能登半島地震取材班

■風呂や食事「ホッとする」/日常に戻れる居場所を提供

 能登半島に本格的な雪の季節が到来した昨年暮れ。寒さが一段と増す夕方、入浴道具を抱えた人たちが輪島カブーレを訪れます。施設内の温泉利用は、県の支援により被災者は無料。仕事帰りの50代男性は「ホッとする」と湯上がりのコーラをゆっくり味わいました。

 明るい洋楽が流れる館内。食堂の畳敷きの広間では、談笑したり、自家製そばを家族とすすったり、晩酌したりする人の姿が。施設に就労する障がいのある人たちが隅々まで掃除し、快適な空間に心が和みます。

 施設の外に出れば、辺りは倒れたままの建物や解体後の更地が入り交じった荒れ地。輪島市内は地震で6000棟以上の住宅が全半壊。昨年9月には水害も襲いました。現在、約4500人が応急仮設住宅に身を寄せています。

 「ここにいる時だけでも震災前の“いつも通り”に戻ってほしい。温かいお風呂とご飯で笑顔になってくれたら」。施設職員の室瀬舞さん(41)は、そんな思いで輪島カブーレに人々を迎えます。

■育んできた絆

 2018年、輪島カブーレは内閣府の「生涯活躍のまち」の先行モデルとして、社会福祉法人「佛子園」と青年海外協力協会(JOCA)が空き家を改装して開設されました。障がい者が働く就労継続支援のほか、高齢者デイサービス、スポーツジム、親子で楽しめる「ママカフェ」などを運営しています。

 近隣の約200世帯には震災前から無料で温泉を開放。年間延べ23万人が訪れ、多様な人々の交流拠点として親しまれてきました。

 施設長として運営の中心を担う寺田誠さん(52)は、さまざまな人と人とが関わり合える空間づくりに徹してきました。その過程で育まれた地域の絆の深さを、今回の災害で「目の当たりにしました」と言います。

 昨年9月、豪雨災害で床上浸水した輪島カブーレに地域の人たちが駆け付け、懸命に泥をかき出しました。中には自分が居住する仮設住宅が水に漬かり、タンスの上に寝ていた人も。「皆さん大変なのに……。勇気付けられました」と寺田さんは目を潤ませます。

 泥かきを手伝った高木雅啓さん(65)は「お風呂に入って語り合ったり、つらいことを分かち合ったり。私たちにとって輪島カブーレは灯台のような場所です」と話していました。

■仮設住宅にも開業

 寺田さんと共に、立ち上げ時から輪島カブーレに携わってきたJOCA理事の堀田直揮さん(48)。ボランティアとも協力しながら市内の仮設住宅を一軒ずつ回り、住人の見守りや相談に対応しています。

 「日常とかけ離れた生活を強いられ、体調を崩す人も多い。日常のリズムを取り戻せる環境が必要です」。堀田さんや寺田さんは、輪島カブーレのような機能が仮設住宅団地にも必要だと行政に訴えてきました。

 この現場発の提案を、公明党は国会で具体的に代弁し、国の予備費から予算を確保。その結果、仮設住宅団地には食堂や共同浴場、高齢者デイサービスなどを備えた福祉的な「サポート拠点」が設置されることになりました。輪島市では佛子園とJOCAの連携のもと、計4団地で今年4月に開業予定です。

■公明議員が足を運び続け地震・水害の一体支援へ道

 この1年、公明党の議員は輪島カブーレに何度も足を運んできました。

 昨年9月の水害直後には、党能登半島地震復興加速化本部の中川宏昌本部長(衆院議員、当時は本部長代理)、谷内律夫県代表(県議)らが急行。寺田さんから聴いた「地震と水害を分けずに支援してほしい」との要望を政府につなげ、一体的な支援の道を開きました。

 稲端明浩・金沢市議は、“無償で修繕に協力したい”と申し出てくれた知人の業者を寺田さんに紹介。輪島カブーレの内装には抗菌効果のある光触媒が施工されました。寺田さんは「一度や二度ではない。いつも気に掛けてくれています」と公明議員に信頼を寄せます。

 厳寒の能登半島が復興の春を迎えるその日まで「僕らは走り切る」と寺田さんたちは腹に決めています。「一人でいたら、つらい。この場所が大切なんです」。きょうも輪島カブーレに温かな明かりがともります。

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